「正読」の自由「誤読」の自由

 おそらく、それが答えである。それがこの小説のひとつの答えだというのは多分それで正しい。正直な話、この読み方をしたのは僕ではなく僕の知り合いなので僕が先に思いついたわけではないので僕が先に読んでいればと思うと、答えを先にいわれてクヤシイ。うそ。再度引用する。

 兵士はそう返しただけで、やはり職員に関心が無いのか、目も合わせずに粛々と歩き続けた。職員は鎖を結んだりほどいたりした後に、囚人に話しかけた。
「この後に取り調べがあるけれど、今やってしまおうか」
 兵士のほうからカチリという音が聞こえ、職員は
「別に取り調べは取り調べ室でやらなければいけない訳ではないしね」
 と付け足した。

 ひとまず「正答」の見つかったこの文章に、今更一体なんの用があるのか? 答えが見つかったのでそれでスッキリしたのではないのか。作者の仕掛けた叙述のトリックを読み解き、「問題」は解決したのではないのか? もちろんそうだ。では、ここは?

 脱走者たちを捕らえろ、という命令が下った。この収容所では、しばしば脱走が発生する。脱走が発生した場合、原則として全ての職員が対応にあたらなければならないため、食事をしていた者、睡眠をとっていた者たちもしぶしぶ銃を手に取り、谷底へと繰り出してきたが、皆一様に関心は低いようだった。

 赤字にしたこの部分には、書かれていないことがある。というかこの小説は、描写すなわち「書く」という行為をしながらなお、どこかしら「書いていない」感がつきまとっている。この部分においての描写では、必ずしも職員が銃を持っていないとは書かれていない。つまり、この収容所にいる人間たち(職員、兵士、もしかしたら書かれていない人たち)は、全員が銃を持っているかもしれないし、持っていないかもしれない。ただ、持っている人がいることは確かであり、むしろこの描写はおそらく、どちらかといえば職員も銃を携帯しているように書かれているように見える。

 ここが作者の明確な意図であるかどうかは知らないし、作者の用意した「正答」を言い当てる、そのことが最も重要なファクターであるならば、文学は減点方式のテストと変わらないのである。作者の書いたテクストが完全に作者の手のうちにおさまりきるものであるとは僕には思えないし、だから作者の「正答」は、あらゆる読み方のなかの一つでしかないし、同時に重要な一つでもある。いってみれば、正読、誤読など本当はないのだ。
 たとえばぽつり、「りんご」とわたしが言うだろう。ある人は赤いりんごを思い浮かべる。ある人は青いりんごを。またある人は故郷の通学路に丸々と実っていたりんごを感傷とともに思い浮かべるかもしれぬし、あるいはけさ出掛けに一口齧ってテーブルの上に無造作に置いたままでいるりんごを気がかり気味に思い出すかもしれない。それは人それぞれであり、「りんご」とただ言う場合、人は様々にりんごを想像し、決して同じ「赤」を想像するとは限らない。ゆえに言葉、それもそうしたノイズが複雑に交錯し合う「小説」という場では、特にその読みは錯綜する。それは読者に限らず、作者も例外ではない。ふとした拍子に説明不足に陥った文章が、その字面を保ちながらしかし、作者の意図を離れるということ。作者の「読み」が、読者の「読み」と対等に、ある配列のまま動かぬ言葉と向かい合いまるで自らを映す鏡のごとく、それぞれ「正しく」、あるいは「間違って」読めてしまうということ。作者が「正解」をどうこう言ったところで、そのような形に書かれたテクストが複数の読みの可能性を秘めていることに変わりはないのだ。(ただし、麹氏がそのこと自体を意図してやっている節があることをここに明記しておきたい)

 読解に戻そう。したがって、この小説においてはあらゆる場所に銃口が潜在している。カチリ。この音を立てたのは何も録音機材であったとは限らない。その読み方も正しいといえば正しい。*1正しさにこだわる必要はない。『斜め後ろに控えた兵士は、銃を構えて薄ら笑いを浮かべている』などとは一行も書かれていない。書かれていないがゆえ、あたかもそれが書かれているかのように、しかもそれが実際に書かれるよりももっと読者の想像力にゆだねられた読者の能動的な読みを必要とさせる文章なのである。*2賢明な読者ならおわかりだろう。あるいは、執拗な読者なら。注意深い読者なら。よい読者なら。

*1:句点が付されている会話文は、「カチリ」のくだりから少し離れた、「N、これから今回の脱走についての取調べを行う(略)呼びかけているんだ。」からである。したがって、「カチリ」の時点から「保持」が始まっていると考えるのは早計である

*2:「新しい処刑台を運び込んだ業者は言っていたよ。『これは先の所長の設計なのです。先の所長は大変に活動的で熱心なお方で、企画立案から資金調達、製造、調整にまで全て関わりになられました。そちらのお方は、そう、あなたです。先の所長をご存知で?ご存知でないと。ああ、そうですか。この保護者の所長殿は代々大変に優秀な方が務めておられる。初代所長殿はこの保護所のメカニズムそのものを作り上げたお方で、ほとんど作品といってしまっていいでしょう。〜(略)〜」 この部分を僕ははじめ、囚人が自分の言葉で話しているのかと思った。囚人の口から語られた業者の長広舌は、まるで囚人自身の言葉そのものででもあるかのような(綴られた字を読み上げるかのような)正確さで、写真にうつりこんでしまった被写体のごときよどみない事実として語られるだろう。ゆえに僕は、最初これが囚人の口伝いに語られている業者の話だということを見落としてしまったのである。僕はこう読んだ。この正確無比な記憶力を持つ囚人に較べたら、むしろその超人的な囚人を隔離している他の人々のほうが囚われた弱者なのではないか、と。そんなブンガク的な読み