銃口はどこを向いているのか?

 はじめは銃を構えた音かと思った。

 兵士はそう返しただけで、やはり職員に関心が無いのか、目も合わせずに粛々と歩き続けた。職員は鎖を結んだりほどいたりした後に、囚人に話しかけた。
「この後に取り調べがあるけれど、今やってしまおうか」
 兵士のほうからカチリという音が聞こえ、職員は
「別に取り調べは取り調べ室でやらなければいけない訳ではないしね」
 と付け足した。

                              麹弘人『斜めと前で』

 今回は編集だけだが僕も参加させていただいた文藝サークル、「M@D AGE」の新刊で、麹弘人氏の新作をまず取り上げてみることにする。いきなり内輪を取り上げるのもどうかと思うし、内輪だからこそ書きにくい、それは先刻承知の上だし、内輪だからこそ面白く思う部分もある、それも否定できないが、ひとまず感想を書きたいと思ったので書かないわけにはいかなかった。

 と過去形で書いてみたものの、明確な結論がすでにあるというわけでもなく、ただしこの部分はちょっとした瞠目に値する。カチリ。はじめは銃を構えた音かと思った。「この後に取り調べがあるけれど、今やってしまおうか」という不穏な職員のセリフのあとに、兵士のカチリ。兵士は銃を持ち歩いている。この小説の設定は、ひとまずいまここに住むわたしたちの現代ではなく、「この場所を知る人は誰もいない」百年後の世界である。とはいえ、ファンタジーやSFであるかというと一概にそうともいえず、というか言うまでもなくジャンル分けは無意味だろう。
 脱走者を捕らえろ。職員たちはしぶしぶ起き出し、谷底へ繰り出していく。彼らは一様に「関心が低い」。また、この収容所は「脱走をさせないことよりも、脱走した囚人を傷つけずに捕らえることのほうが重要視されている」という一見寛容な方針であるのだが、それでも脱走者は捕まるだろう。なぜなら、「この収容所は深い谷の底に位置し」ており、谷底は海岸に突き当たるまで続いている」ため、「脱走した囚人は(きわめて)捕らえやす」くなっているからだ。
 そんなわけで、「銃を持った兵士と、プラスチック製の鎖を手に持った職員」が二人連れであらわれる。もちろん、囚人の前に。そして上に引用した部分。カチリ。兵士は銃を構えている。

 ――この後に取り調べがあるけれど、今やってしまおうか。職員の不穏なセリフ。そしてカチリである。兵士は兵士であるがゆえ、銃を持っている。その銃口は結局のところどこにも向いた形跡はなく、一度も書かれていない。だが、兵士は確かに銃を持っているのだった。僕は、はじめは銃を構えた音かと思った。こう思った。

  • 兵士はそう返しただけで、やはり職員に関心が無いのか、目も合わせずに粛々と歩き続けた。職員は鎖を結んだりほどいたりした後に、囚人に話しかけた。

 ↓

  • 「この後に取り調べがあるけれど、今やってしまおうか」(殺してしまおうか)

 ↓

  • 兵士のほうからカチリという音が聞こえ(職員のほうに銃口が向く)(たじろいだ)職員は

 ↓

  • 「別に取り調べは取り調べ室でやらなければいけない訳ではないしね」

 と付け足した。

 先走りそうになった職員を、兵士が銃口でいさめる。と同時に、こうも読めるのである。
 

  • 兵士はそう返しただけで、やはり職員に関心が無いのか、目も合わせずに粛々と歩き続けた。職員は鎖を結んだりほどいたりした後に、囚人に話しかけた。

 ↓

  • 「この後に取り調べがあるけれど、今やってしまおうか」

 ↓

  • 兵士のほうからカチリという音が聞こえ(囚人のほうに銃口が向く)、職員は

 ↓

  • 「別に取り調べは取り調べ室でやらなければいけない訳ではないしね」

 と付け足した。

 もしや職員がいう「取り調べ」とは、いささか血生臭い拷問じみた尋問なのかもしれない。その証拠に、斜め後ろに控えた兵士は、銃を構えて薄ら笑いを浮かべているではないか。

 しかしこののち、こう書かれるのである。

「君の名前は?」
「N」
「N、これから今回の脱走についての取り調べを行う。我々の発言は記録され、その記録は全国民が自由にアクセスできるよう保持される。よって、全ての発言は真理に奉仕するように行わなければならない〜(略)」

 保持。これが何を意味するか。賢明な読者ならおわかりだろう。あるいは、執拗な読者なら。注意深い読者なら。よい読者なら。つまり、この会話は録音されるのである。ここであの不穏なセリフと音が蘇る。

 この後に取り調べがあるけれど、今やってしまおうか」
 兵士のほうからカチリという音が聞こえ、

 果たして兵士は、銃口をどこに向けているのだろうか? いやむしろ、兵士は初めからどこにも銃口を向けてなどいないのである。では、「カチリ」というあの音は? おそらくそれは、テープレコーダーのような録音機材の鳴る音ではなかったか。その後に交わされる会話がいままでの「この暑いなか、その軍服ではおつらいでしょうね(職員)」「いかにも(兵士)」といった淡白なやりとりであったものがとつぜん、饒舌な、しかし説明口調になるのは会話の「保持」を意識した登場人物たちの語りの変化ではなかったか。「保持」間違いない。そうだ。それが答えだ。そうだろうか。